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2010年11月11日木曜日

自分の感覚を信じる

昨日のNHKの仕事の流儀での北島選手についての放送は、何をいいたいのかよくわからない内容だったので、かえって気になって録画を何度も見直した。

こういうのを視聴者に考えさせる放送というのだと思った。

何度かみているうちに、「感覚」とキーワードで、みていくと、いくつかのモザイク状の内容と柱で支えられているテーマが見えてきた。

自分を中心にする。
どういうことなんだろう。
客観が大事で、主観が二の次であるという認識がある。
だが、主観は、感情や動機に直接リンクしている。

2度のオリンピックに参加して制覇してきた北島選手だからこそ、これまでのトレーニングには、頼れない自分をわかっていたのだろう。

「オリンピックで勝ったのが人生の最高で、あとは落ちるだけ」
というスポーツ選手の悩みを率直に話していた。

燃え尽き症候群になりたくないと思ったが、ぼーっとした1年間があっという間にすぎた。
なんとか自分を変えたいと思って、米国にいった。
英語学校に普通に通う。
環境を変えたのだ。

そして、いつの間にか近所のプールに引き寄せられ、
水の中にいることが楽しいと感じられる「感覚」があった。

新しい仲間と楽しく泳いでみたい。
再び、やる気が起きたのだ。とても大事なこと。

それを日本のコーチにつたえて、許してくれるコーチがいた。

これまでの管理されて勝った方法でなく、
自分で感じて、考えることが要求される自由な環境。

北島選手の自分をメジャーにして、感覚を磨き、次の段階へ行こうとしている葛藤が描かれていた。

限界まで管理されて、行きついた先は、自由な感性に頼ることだった。
それには、楽しいこと、気持ちいいことが大事なのだろう。
その喜びが前向きな「感覚」であり、感情や動機を揺さぶり続けられるのだろう。

自己決定型学習法というのを思い出した。
世界の潮流にのった学習法にのっとっている。
こういうのを共時性(Synchronicity)というのだろうか。

ファシリテーター用プログラムに必要な物とは?

非言語プログラムのエクササイズのワークショップで、大まかな内容をあるところで披露した。

振り返りとして、幕の内弁当状態になって、本当に内容のご紹介となった。


非言語といえども、コミュニケーションの一種であるから、

複雑な内容、たとえば、空間認識、時間認識とかがどう絡み合っているのか

などなど、区分けぐらいでそれに対するワークは時間の都合で出来なかった。



しかし、参加者をみていて、色々な段階の人がいるので、

分かったようでも、ひとつずつエクササイズをかみ砕いて、

しっかりと身につけさせるような内容が必要だと思った。


レッスンに来てもらえば、運動の種類とか、もっと詳しく各自の足らない引き出しを

増やすことができるし、自分の不得意な部分も分かるだろう。


基礎力とは何だろう?

運動種類、空間認識、時間構成など、もっと定義していこう。


私自身は、子供の頃からの習慣や、積み上げてきたもので

無意識にやっていることを、もっと読み解いて、

他にも分かるようにする形が求められていることが

課せられているのも理解した。


もっと、受ける人も、発信する人も

リテラシーを実践から学ぶ必要があるのだろうと思う。


様々な表現に共通するものを感じ取り、

そこにバリエーションを読み解く力がでてくるからだ。