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2014年3月19日水曜日

真実と見通す目

あまりに、忙しいと考える時間がなくなるので、

忙しいという字は、心辺のりっしんべんと、亡くなるという字を書くという。

こんな言葉合わせのようなことは、よく方便として、使われる。珍しくもない。


そんなことも思い出した矢先、

前の夢日記や、ブログを読み返してみたら、

結構、私は、目の夢を見ているのがわかった。


忘れてたな。


いろいろな名称があるが、

「すべてを見通す目」とあえて言おう。

だが、「すべてを見通す目」が

「真実を見通す目」とは、限らない。

真実は人によって、異なるからだ。


なぜ、目の夢をみるのか?

記憶の再合成か?


それでも説明できるが、

もっと別の説明がほしい。

例えば、家に昔からあるエジプトの絵画との関連は?

なぜ、私は、エジプト関連の象形に惹かれるのか?

このミステリーを解くのは面白そうだ。


きっと、誰にでも、こんなミステリーはあるのだろうと思う。

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